わたくしの懐石 その心と料理3 懐石料理の移り変わり

瓢鮎子の懐石史観。

将軍義政を中心とする武家貴族が茶の湯を独占していた初期のころは、喫茶のあとの豪奢な酒宴で華麗な唐物の観賞会が仕上げになるということだったのでしょう。
そういう贅沢な食事のもてなしの影響は、その後ながく利休の頃まで尾を引いていたのでした。
ところが茶の湯の流行が堺の商人の方に移ってくると、様子はだいぶ変わってまいります。
つまり村田珠光によって拓かれた侘び茶への道が、次第にひろげられるにつれて、茶の食事もそれにあわせて侘び化していったとみてよいでしょう。

大昔はともかく、利休の頃から侘びて来た茶道。
その傾向は長らく続いて来た。が。

大正五、六年ごろから急に様子が変わってまいります。つまりは懐石は料理の数が増え、料理そのものも著しく派手で贅沢なものになってきたのです。

近代数寄者によって打ち破られた、という。


どーなのかなー。

鶴の吸い物を切らさなかった南都の茶人、とかを考えると昔の料理が侘びてたとは言い切れないな。


それはともかく、近代の懐石が贅沢、というのは同感。

あんなに料理を出して、さらに強肴とか必要なんじゃろうか?


あとお茶とのバランスもあると思う。

ぶっちゃけうちの先生の懐石は美味しすぎるしお腹一杯になりすぎるしで、何しに行ったんだかという気分になるしな〜。