『茶道長問織答抄』を読む3 カネワリ

一 水さし、中柱よせ敷居より十目十一目、但三帖大目の時、
(中略)
一 茶碗、棗の間四目、五目程、但是も茶碗によるへき由、

現代の上田宗箇流では畳を等分割した曲割を採用している。

だが、古田織部浅野幸長に教えた茶では、目数で計る方式を採用していた。


現代の上田宗箇流織部の教えには乖離があるが、本ドキュメントはあくまでも織部→幸長に対するものなので、上田宗箇が織部の教えを墨守していたかはわからない。

とはいえ、上田宗箇の茶が織部の茶と乖離していたなら、宗箇によりなんらかの注釈があると思うのだ。

だから、現代上田宗箇流の曲割の概念は、江戸時代から現代に至るまでのどこかで採り入れられたと思うのだが、どういう経緯で、何を目的に採り入れたのか、かなり気になる。