茶道ジャーナリズム60年7 淡交
戦争に備え作られた淡交会の戦争中の活動は、いまひとつ不明である。
しかし、淡交会は、その機関紙としての淡交を戦後産み出す事となる。
終戦後の物資窮乏の中、雑誌淡交が茶道月報と並行しながら創刊されたのは、おそらく戦争でちりぢりになった裏千家会員を再度組織化しなければならなかったからではなかろうか?
もしかするとGHQの文化政策に対抗する為に組織化が必要と判断されていたのかもしれない。
淡交創刊号は昭和二十二年四月。三号は昭和二十三年二月。季刊どころではない発行ペースだった。
しかし昭和二十五年からは軌道に乗り、発行部数も五千部を超えた。
ついに昭和三十一年、茶道月報を淡交が吸収することとなった。
昭和三十一年といえば「もはや戦後ではない」の年である。
GHQの財閥解体により近代数寄者の時代が終焉を迎えて流儀横断の茶の湯の時代も終り、裏千家の大衆の時代が来た…ということなのだろうな。