茶道ジャーナリズム60年6 淡交会

昭和十五年。中国で戦争が泥沼化しつつあった頃、利休さの三百五十忌法要が行われた。

用紙入手難、減頁、発行部数制限とひたばしりに悪化の傾向をたどってゆく。利休三百五十年を契機に、ひろく一般に対して、茶道の普及活動を意図していた茶道雑誌ジャーナリズムにとって、これは如何ともなしがたいことになってしまった。

宗旦の二百五十回忌に今日庵月報をスタートさせた裏千家としては当然の思考だったが、戦争に足を引っ張られた形。

こうした、あわただしい時代の動きのなかで、二千六百年を記念して行われた橿原神宮献茶式の感激が、淡々斎家元を中心として淡交会の発足という意義深い運動をひき起こす。
それは新政治体制下に順応すべく、流儀の緊密な統制と精神的茶道の振興を意図するものであった。

戦争指導上の要請で作られた表千家同門会は昭和17年発足。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20120426
茶の湯側の、言い訳とも自衛とも言える組織化である。


しかし昭和15年はそこまでの要請はされていなかった筈。
純粋に戦争中でも茶道振興を推進しよう、という目的に淡交会は作られたんだと思われる。


にしても戦争中に作った組織を現代に引き継ぐってこと結構あるよな。戦争っていろいろ捗るといえば捗るんだよなぁ。言い方悪いけど。