川上不白 茶中茶外

寺本界雄/「川上不白 茶中茶外」刊行委員会/1975年。

半分は不白の伝記。半分は不白筆記。不白マニアには堪えられない内容。いるのかしらんけど。


発行元からし自費出版だと思うのだが、どういう立場で書かれたのか不明。


途中にある「不白の伝流」によると

現在、この東京で不白の流れを汲み、栄えている茶家は六家を数える。
いわゆる江戸千家をつぐものとして、池之端派と弥生派の二家。
もともとこの二家は、池之端の一家であったものが、四、五年前、弥生派が分裂して二家となったもので、当主をあげれば、
江戸千家 池之端派(池之端所在) 川上宗雪
江戸千家 弥生派(弥生町所在) 川上閑雪

かなり中立な扱いである。

次に、源流は同じだったものであるが、表千家不白流の名と変わっていったものに、昔は浜町派。今は宗順派とでも申す社中が、栄えている。当主をあげれば、
表千家不白流(高円寺所在) 川上宗順

さらに、
    渭白流(新宿所在) 岸田鶴之助
不白流 石塚派(千住所在) 草野宗興

このうち、渭白流と石塚派は、流祖不白時代にすでに一流一流をなしていたが、いつしか消滅してしまったものを、戦後、宗順派が再興するにあたって、その流派の伝統者によって、受け継がれることになったのである。

川上宗順は近代数寄者の先生をやりまくったあの流派。
岸田鶴之助は岸田劉生の子。つまり麗子像の人の兄弟である。

表千家不白流は戦後の立ち上げだったのか…。

しかし、今あげたこれらの派のどこにも属さない一派が、自然発生的に出来てしまうという不思議が起こった。
それは、宗順派が再興された時、誰よりも熱心に再興に努めた秋本宗意氏だけれど、尽くした誠意も認められず、自分のポストも与えられずとり残されてしまった。
こうなっては自分の道を開いていくより外はなかった。そこで、

表千家 不白流宗家(新宿西大久保所在) 秋本宗意

と名乗り、心を共にする門下とともに、一家を樹たることになった。

江戸千家分裂を、「まとまりねーなー」と思っていたけど、昔っからそういう流派だったんやね。