茶を点てば茶筅に心よくつけて茶碗の底へ強くあたるな
茶筅の扱いを教えております。
よく濃茶を練りますと、練っているうちに恥かしくて茶筅が抜けないほど茶筅がゆがんでしまうことがあります。
(略)
茶筅あるあるかよ!
江岑の頃はしゃぶしゃぶで片手で濃茶が練れた筈なので、その頃だとこういう百首は書かれなかった筈ですな。
…しかし、「一より習い」「耳をひそめてきくこともなし」とか、締めっぽい事を書いた後で、茶筅の使い方に戻るのはいかがなものか。
それとも、これこそが「十よりかえる元のその一」ということなのだろうか?