茶道文化論集23 点前と手前

点前を「てまえ」と読むのはむずかしい。
もとは「手前」と書いたのだが、近代になって、この文字が普及した。
手前という文字は俗っぽいし、意味も多様だから、これを雅字に訂正したのである。

ということで、手前、という字の話。

井伊直弼(一八一五〜六〇)の『茶湯一会集』は、その草稿本・清書本ともに現存しているが、それによると、「手前」「点前」の文字が混用され、「点茶」「茶点じ」「茶点たる」という用語例が見られる。
(略)
この一八世紀前後に茶法がいろいろと案出され、流儀茶が成立して現代に至るのである。文字が改まるのも、その実体を伴っているのだから興味深い。

つまり江戸後期に流儀茶ができて、用語がかっこよく改定され、その指導力で普及した、ということかな。

手前という文字は、その語義が複雑多岐である。根本は「手廻」ということだろう。

「手舞」ってのも見たことがあるような。
「仕舞う」は今でも使うし。

ただ、お茶を点てるから手前が点前になった、という説はいいんだけど、なんでお茶は「点てる」になったんだろう?実際には濃茶なら「練る」なんだし。

点前を単に茶の点て方と限定すれば、慶長十七年の書写というがやや後れる『僊林』に見られる「御茶たつる時、こし(腰)をのし、どう(胴)をすゑ、尻ヲたヽミニつけ、あをのかず、うつむかずしてたつる物なり、少はうつむく心あるよし」とか(略)

どちらかというと「尻を畳につける」方が気になる。

あぐらのお茶だったんだねぇ。