討ち入りと宗偏流

茶道をはじめるまで、忠臣蔵が茶道に縁のある話と思っていなかった。

というかぶっちゃけ興味無かった。
乱心親父の切腹の敵討ちなんて逆恨み話をなんでみんな好きなんだろうと不思議に思ってた。うちの近所には猪出るし、ラストは「燃えよドラゴン」ばりのジジイいじめだし。

でもまぁ茶会の夜に討ち入り、桂川籠を首代わりに帰る、というフィナーレは、どの程度史実かはしらんが、存分に茶のエピソードだわ。


さて、大高源五は偽名で山田宗偏に師事。吉良上野介が茶会で在宅する日を聞き出した、という。

宗偏は知っていてわざと教えた*1というのが宗偏流の公式見解。

でも本当だろうか?

茶の湯者がパトロンなしでやっていけなかった時代に、情報漏洩でパトロンを死なせる、ってのはえらくまずい事態。だから、わざと教えたわけじゃないと思うんだな。

かといってパトロン死んで残念です、とか公言したら庶民からどう言われるか判ったものではない。実際「討ち入らなかった浪士」は味噌も売ってもらえない様な目にあったらしいし。

江戸で生きて行く上での処世術として、「実はわざと教えたらしいんですよ」程度の噂を流し、若干赤穂浪士よりですよと庶民には知らせ、公式にはノーコメントで鎮静を待ってたんじゃなかろうか?

宗偏流は毎年12月14日に義士の追悼茶会を行っているらしい*2


ところで吉良最後の茶会、いったいどういうものだったのだろうか?
命を狙われ、妻にも見放された男が、へんぴな場所の屋敷で開いた茶会。
周囲は武装した用心棒がうろうろ。

会記があれば読みたいものだ。冬のさなかに桂川籠、というのが道具組でどういう意味を持っていたのだろう?

*1:http://www.sohenryu.com/に記述あり。しかし「ニッポン、チャ茶チャ、ソウヘン、Oh!茶」つーのはどういうセンス?

*2:上田宗箇流も。広島浅野家の家臣だもんね