用の美

民芸の世界では「用の美」という言葉がある。初出は多分、柳宗悦ウィトルウィウスからの引用かもしんないけど。

民芸のいう用の美は、目的に合致した機能を持った道具に美が宿る、的な言葉だと思う。簡単にいうと機能美*1

んで、その用と美の間には、値段のバランスというのがあると思う。つまり、用、という以上、やたら高いものは機能を満たしても用を満たしていない、という感覚があると思うんだよね。工学的な感覚というか。

だから民芸が[用の美」と言う時には機能相当の値段であること、というのが前提事項だと思う。

さて。

茶道でもたまに「用の美」という言葉が使われる事が有る。

でも茶道でいう「用の美」って、かならずしも機能美的なものじゃないよね。
茶道の用の美は、実用可能な美術品、という意味だと思う。値段全然関係ない。
茶道具の値段が高いからと言って、「この道具は用を満たしていない」と思う事はない。

ってことで、民芸でいう用の美と、茶道でいう用の美は違うものだと思う。

*1:民芸にそういうレベルの用の美を感じるかはまた別の話だ