千利休と日本人 いま甦る「ばさら」の精神

栗田勇/祥伝社/1990年。

じつは、私はかねがねこの「ばさら」こそ、利休とその茶のルーツだと考えているのである。

なんと、千利休婆娑羅である、という事を書いた本。闘茶と侘び茶の関係を考えると、そう言えない事もないけど、そう言わないよな、フツー。


さて、筆者は佐々木道誉とは、闘茶のルーツ寄合とは、一休と風狂とは、と、いろんな考察を重ねて行く。

…あれ?千利休婆娑羅の話はどうなるの?と思うと、結局、最後の最後あたりで山上宗二記の記述を、以下の様に紹介している。

「宗易は名人なれば、山を谷、西を東と茶湯の法を破り(後略)」
(中略)
ここで描かれた利休は、つまり「ばさら」である。まったくのばさらである。

んー、婆娑羅婆娑羅という美意識であって、利休→美意識の革新者→婆娑羅、という筆者の主張に同意は出来ないなぁ。


ま、それはさておき。

平成2年頃の茶の本だと、「利休は紹鴎の弟子」「京 与四郎=利休」とか、平気で言えてたんだなぁ。古典資料を疑う、というのは割と最近の風潮なのかもしんない。

千利休と日本人―いま甦る「ばさら」の精神

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