教養
昔の茶人達。ぶっちゃけ近代数寄者達は、大抵教養があった。
謡、和歌、俳句、能、古典。
彼らはそういったものを良く知っていた。そしてこの教養をベースにお茶の趣向が組まれていた。
こういった教養は、私にはまだない。今後も備えられるかは、良く分からない。勉強はしているんだけど、あんま頭に入って来ないんだよね〜。ニンモカントモ。
しかし備えたとして、他の茶人がそれを解してくれないと面白くならないのだが、皆にそれを期待してもいいのだろうか?という問題も残る。
つまり、茶人の素養として、そういう知識が必要だよね、最低でも。というコンセンスが現代にあるのかどうか、少々疑問だったりする。
現在、昔の数寄者の茶のポジションにある社交はゴルフである。そしてゴルフにはさほどの教養は必要がない。
教養が必要、というコンセンサスがなくなってしまったから茶が廃れゴルフが隆盛したのだろうか?
それとも茶が廃れ、教養が必要、というコンセンサスがなくなってしまったからゴルフが隆盛したのだろうか?
正直よくわからん。
案外、教養が必要、というコンセンサスはあるまま、茶は廃れたのかもしんない。