茶道辭典
末宗廣/晃文社/1944年。
戦局悪化した時期に、意外にいろいろ茶書が出版されているのが第二次大戦の不思議な所だ。現実逃避だろうか。
さて、末宗廣による裏千家の解説。
ウラセンケ(裏千家)
宗旦隠居後、今日庵に暫く居住したが、後更に又隠に移り、今日庵は第三子仙叟宗室に譲り、爾後常叟・泰叟・宗乾・一燈・石翁・柏叟・精中・直叟・鐵中・淡々と代々今日庵に居住茶道指南を業として居る。
この今日庵が不審庵の裏に在るより裏千家と稱せられ、これに對し不審庵は表千家と稱すのである。
裏千家は表千家の裏にあるから裏千家だが、表千家は裏千家の表にあるから表なんだよというトートロジー的な書き方である。
では表千家の表記はどうか?
オモテセンケ(表千家)
裏千家に對して云ふ。
京都小川頭なる不審庵のことである。
宗旦の次子江岑以下代々を經て當主十三代即中齋宗左に至る。
そっけねぇ!
そっけねぇだけでなく、こっちでは表千家は裏千家の表にあるから表なんだよという言い方である。
さらに、十三代は利休からカウントするのだが、表千家の初代を江岑に思わせる様、ミスリードも誘っている気がする。
これは裏千家の陰謀ではなかろうか。
…ちなみに。
ムシャコウジケ(武者小路家)
三千家の一。宗旦の長男宗守、武者小路に分家せしより町名をとりかく稱するに至つたので、代々宗守を名乗つて居る。
當主は九代愈好齋宗守。
- 千家でなくしてる
- 宗拙の存在無視
- 利休を初代として十三代愈好齋なのに、一翁宗守を初代にすり替えている
末宗廣、特に茶人関連では超物知りで信用できると思ってたんだけどな…。