三露

大寄せの列整理なんかで一日露地に出ていると判るが、土の地面の上にいると直接地面に触れていなくとも、足袋が黄土色になってしまう。

もちろんこれは土埃が巻上がるからである。


だから、三露といって、客が入る前、客が中立に出てくる前、客が帰る前に水を撒くのは、単に土埃を巻き上げない様に配慮する、という事に過ぎないのではないだろうか?


南方録に言う。

露地ニ水うつ事、大凡に心得べからず、
茶の湯の肝要、たヾこの三炭・三露にあり

このフレーズの為に、露地の水打ちは過大評価されていないだろうか?


これが後世に至ると

打水の本当の意味は、客を迎えるにあたって、露地をきよめることにある

("南方録を読む",熊倉功夫)

の様な解釈になる。


他の茶書が「客が通る頃に飛び石が半乾きになるのがポイント」と教えてくれているのも、足元の話でしかない証拠だと思う。


露地に水を撒くのも土埃防止の為でしかなかったのに、江戸中期にはその理由が神秘化されて、なにか特殊な意味のある行動と思われてしまったんじゃなかろうか?


実際南方録は「何を目的に水を撒くのか」に関してはちっとも教えてくれていないしな。