寸松庵色紙の習い方3 寸松庵色紙の原形

寸松庵色紙は一枚々々別々にこのやうな姿で書かれたものであらうか。
(中略)
この問題は散し書の本質に觸れる重要なものと思ふが故に現存の二十幾枚を仔細に觀察して其の原形を究めて見なければならぬ。

今では一枚一枚が軸にされている寸松庵色紙。
最初どういう形態だったか。

この原形問題を解決する有力な資料は、藤田氏所蔵の「ちはやふる」の一葉と、原氏蔵の「あめふれば」の一葉とである。
(中略)
この二葉に淡く逆字が見える。この逆字を讀んで行くと、藤田氏の分は原氏の歌であり、原氏の分は藤田氏の歌であり、しかも筆蹟は完く同樣である。

寸松庵色紙には、互いに字が逆字で写ってしまったものがあるという。

この事柄を根據として考へて見ると、かゝる現象の表はれる場合は二つある。
一つは一枚の料紙に兩面かゝれてそれが裏まで通り、反對側に淡く浸透して來たものゝ現れがそのまゝ二枚に分けた時まで殘つたと考へられること、今一つはこの歌を書かれた紙面同志が接したまゝ重なつて一方が反對の方に寫つたと考へられるこのとの二つである。

  1. 一枚の紙の両面に書いたものがはがされた場合。
  2. 二枚の紙が向かい合って重なっていた場合。

著者は他の料紙でこの現象が発生していないから、前者ではなかろうと言っている。

然らば如何にしてこの現象を生じたか。即ち第二の場合であつて二者互ひに字面を接し相方の方の字が寫つたとみることである。
(中略)
こゝに於て説をなしてこの色紙の原形は帖であつたといはれるのであつて、而も二首の歌は古今集に於て相隣合つて記載されてゐる事などを考へ合せて恐らく帖であつたことに相違ないといつてよいと思ふ。

でも良く考えたら、「ちはやふる」と「あめふれば」は、全然違う料紙に書かれているので、あい剥ぎで作るのは無理だよな。
料紙が対称じゃないから無理、でもよかったのに。