茶道爐邊夜話7 茶の湯は宗教か

秦西文明崇拝の反動も手傳ひ、日本趣味の茶の湯が、非常な勢で一般に普及すると共に、茶の湯の和敬静寂*1の精神は其の影を潜め、精神修養、思想善導と結びつける人が出るやうな有樣になり、其の指導者である茶の湯宗匠や教授は宗教家の立場になり、茶湯も宗教化しようとして居るのは面白い現象である。

茶道宗家の神聖視は、戦前に始まっていたという事が明確な文章。

何でもない事迄も、秘傳口傳と稱し、自己の生活の脅威を防いだ徳川期に於ける各種の藝事儀式の例に漏れず、茶の湯も亦初傳、中傳、奥傳或は秘傳、極秘傳、口傳などゝ色々難しい障壁を造つた。
(中略)
従つて宗家は其の最高位に位し、皆傳を許されるとしても、その上に未知の何物かゞあつたので、同一位置に位するのは不可能な事であり、然も宗家は世襲であるので其の位置が次第に偶像視されるやうになつた。
殊に茶の湯教授を以て生活する人々にあつては、宗家を偶像視し、茶道を宗教視することは、自らの位置の安泰にも直接影響することであるから、益々其の傾向を増長せしめる結果になつた。

家元と教授たちの共同体がこの神聖視を推進したという。

そして現在茶の湯を稽古して居る人々の大部分を占めるのは婦女子であるので、婦女子一流の感傷氣分も多分に作用して、宗家を偶像視し、その教授する茶の湯をも一種の宗教視するやうになつたのではあるまいかと思ふ。

更に、女性の生徒達がそれを受容したとも。
男の茶人はそういう事に反発するという前提がある様だが、どうなのかなー。

宗家を偶像視し、茶道を宗教視することも結構ではあるが、餘りにそれが進み過ぎると茶の湯、それも茶人の最も崇拝する茶聖利休の茶の湯とは全然離れた、彼が夢想もしなかつたものになつて了ふのではあるまいかと考へられる。
何れにしても茶の湯は時代の風潮、思想をも多分に考へた活きたものでなくてはならないが、餘りに大衆化し、其の精神の堕落し、宗教に結びつけて勿體つけるに至つては、全く、其の本質を忘れたものと云ふべきではあるまいか。

というわけでこの著者、問題意識は面白いのだが、いまいち結論が弱いんだよねー。ぼやくだけ、というか。

じゃぁどうしろっつーのよ?あん?

柳宗悦は「選挙制にしろ」と言った。この著者はどう考えていたのだろう。

*1:ママ