光悦七種
光悦七種にはなぜか二種類在る。
ひとつは
A:不二山、雪峰、障子、鉄壁、毘沙門堂、雪片、七里
もうひとつは
B:加賀光悦、雨雲、時雨、紙屋、鉄壁、有明、喰違
である。
なぜか鉄壁だけ共通。
でもなぜ二種類あるんだろうか?
それぞれの茶碗の来歴を調べてみる。
不二山 | 白黒 | 酒井雅楽頭→サンリツ服部 |
雪峰 | 赤 | 酒井雅楽頭→畠山 |
障子 | 赤 | |
鉄壁 | 黒 | |
毘沙門堂 | 赤 | 河合→鴻池→? |
雪片 | 赤 | |
七里 | 黒 | 七里→?→鈍翁→五島 |
加賀光悦 | 赤 | 冬木屋→不昧→?→相国寺 |
雨雲 | 黒 | 三井 |
時雨 | 黒 | 三井→平瀬→下村実栗→森川如春 |
紙屋 | 飴 | 紙屋→酒屋→山田→市田 |
鉄壁 | 黒 | |
有明 | 赤 | |
喰違 | 黒 |
Aの方は赤楽が中心で酒井雅楽頭の茶碗が二つ。
Bの方はやや黒楽が多く、三井家の茶碗が二つ。
…特段の統一性はない。
そこで茶道名数事典を調べるとこうある。
光悦七作
光悦七種ともいう。本阿弥光悦の茶碗のうち、高名な七碗をさす。
幕末期の「本朝陶器攷證」に見える十二碗を根拠とし、不二山(黒)・雪峰(赤)・障子(赤)・毘沙門堂(赤)・雪片(赤)の前半に紹介された五作に、鉄壁(黒)・七里(黒)の二作を加えて七作とする。
また一説には、後半に紹介された七碗、加賀光悦(赤)・雨雲(黒)・時雨(黒)・鉄壁・有明(赤)・紙屋(飴釉)・喰違(黒)を七作ともいう。
つまり、十二碗が本で紹介され、その前半五碗に別から+2したのがAの方。
後半七碗がBの方ということか。
これ、明治大正期の茶人の意地の張合いでできた名称ではなかろうか?
つまり、Aの茶碗のオーナーの誰かがAを言いはじめ、むかついたBのオーナーの誰かがBを言い始めたのでは?
両方にある「鉄壁」のオーナーは関係なかろう。
Aの成立であやしいのは、追加された2碗のもう一つ、七里のオーナー五島。
Bに関しては三井か如春庵がしかえしに考えたのではなかろうか?