奈良大和路茶の湯逍遙7 大和小泉と片桐石州

石州は、京都在住時に大徳寺芳春院の玉室宗珀に参禅し、のちにその法嗣である玉舟宗王+番を開山として大徳寺内に高林庵、小泉に慈光院を創建している。
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なお、この二畳台目の茶室は寛文十一年の石州による造立であることがはっきりしている。
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ただし、慈光院での石州茶会記は伝わらない。
松屋会記』などに載る小泉での石州茶会は、慈光院から八百メートルほど南にあった片桐氏の陣屋で行われた。

石州はどういうわけか自分の建てた慈光院でお茶を点てた、という記録がないとのこと。

まぁ客か亭主が記録しないと茶会記に残らない、ってだけなので、やらなかったと断言はできない。

寛文七年二月末に、石州は鹿苑寺(金閣寺)住職の鳳林承章を慈光院へ招いた。
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鳳林は三日間の小泉滞在中に、慈光院からの眺望に感激し、法隆寺の見物に出かけ、家老で石州流茶書『和泉草』の著者である藤林宗源の茶にもよばれた。
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鳳林は石州の居館では飯後の茶会に臨んでいる。
大徳寺開山の大燈(宗峰妙超)墨蹟、胡銅花入に椿、阿弥陀堂釜、新伊賀水指、織部所持の唐物丸壷茶入、唐物青貝の茶入盆、利休茶杓、高麗茶碗という格調高い道具組での盆点(茶入を盆に載せて行う格の高い点前)であった。

でも、せっかく招いた鳳林承章に対しても慈光院ではお茶をしなかった。
まぁまだ石州好み席は作っていなかったからかもしれないが。


ところで鳳林承章に対して渋いお茶をしすぎではないか?

鳳林承章の茶風って

http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20140410

さすが金閣寺!って感じのケバケバ楽しい茶だぜ?