数寄屋図解事典18

てんゆうあん(天祐庵)

東京浅草寺境内伝法院にある茶室。
この茶室はもと名古屋の牧野作兵衛が天明の頃(1774-1788)造営された表千家不審庵写しの席であったが、大正5年(1916)高橋箒庵の勧めで東京向島の徳川邸内に移されて嬉森庵と呼ばれていた。
その後津村邸内に移築し、大正12年(1923)の大震災に免れたというので箒庵が改めて天祐庵と名づけ、また今回の戦災にも免れた席で、不審庵写しの席としては最古のもので昭和33年現在の地に移築された。

浅草の水戸徳川家→目黒区青葉台ツムラ邸→浅草寺という来歴。
牧野作兵衛が最初どこに建てたかは不明。

http://www.senso-ji.jp/guide/denbouin.html

非公開だが、たまに公開しているらしい。

浅草の徳川邸にあったら間違いなく大震災で焼失していたんだから、ラッキーな茶室である。

とうようぼう(東陽坊)

京都建仁寺方丈の裏にある茶室。
もと東陽坊長盛が天正15年(1587)北野松原の大茶会に建てた数寄屋と伝えられ、北野の萬林寺にあったがその後幾度か移築され、現在は上記のところにある。
(略)

北野大茶会は沢山の茶人が集まったため、野点で一人二畳のスペースしか与えられなかった。こんな本格茶室は作らせてもらえなかったと思う。

天正時代の現存茶室であるとしたら、待庵や如庵同様国宝指定されていてもおかしくないのだが…。

どくらくあん(独楽庵)

鎌倉市山ノ内武藤邸内にある茶室。昭和10年武藤山治によって造営されたもので、その形式は松平不昧が江戸品川御殿山に営んだ大崎園内の独楽庵の古図によって復元されたものに、別に三畳台目席と四畳席、水屋をつけたものである。
(略)

前に書いた独楽庵の写し。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20161226

今は八王子の料亭にあるという。
http://www.misasaen.com/dokurakuan/index.html

もっと前に書いていた以下の記事は、この不昧茶室の写しであって、紹鴎の「どうらく庵」とは関係がなかったようだ。
http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20130519