松屋会記に見る蓋置の流行
さて、昨日の話、少しだけブレイクダウンする。
久政他会記にみる五徳と引切蓋置に関して、地域を奈良に絞ってみる。
久政他会記にみる五徳蓋置:
和暦 | 西暦 | 奈良 |
---|---|---|
永禄 | 1558-1570 | 26.5% |
天正1 | 1573-1582 | 25.0% |
天正2 | 1582-1593 | 12.0% |
久政他会記にみる引切蓋置:
和暦 | 西暦 | 奈良 |
---|---|---|
永禄 | 1558-1570 | 0% |
天正1 | 1573-1582 | 0% |
天正2 | 1582-1593 | 44.4% |
五徳が緩やかに減り、引切が急速に増える様が判る。
…本当は、堺と奈良の引切の利用率の差を出したかったのだが、天正10年以降の天正年代…すなわち利休の全盛期に、松屋さんは堺に一度も行っていない。
なので 「堺の方が先に流行がはじまった」…的な確認ができない。
松屋さんが最後に堺に行ったのは永禄12年。そもそも天正に入ってから堺へは行っていないのだ。
そして永禄12年は堺が信長の下に入った年でもある。
茶の湯の中心地としての堺の実力は、思ったよりも早い時期に失われていたのだろうか?