南方録と茶の湯

南方録の覚書を読み直してみた。

南方録の覚書は、通常の茶の湯の伝書の形式をとっていない。

普通、茶の湯の伝書は石州百ヶ条とか織部伝書のような、箇条書きを中心としたもので、南方録の記述は枝葉が多過ぎる。

でも、この枝葉があるからこそ、南方録は歴史に名を留めている。


我々は利休とは何か、を南方録から知り、形成している。

もしこの世に茶話指月集しかなかったら、利休は厳しいだけの意地悪ジジイである。
利休の茶の湯での地位は、こんなに高くなかったのではないだろうか。


元禄の頃、利休回帰のブームがあり、南方録は書かれたと言われる。
#その利休回帰のブーム、というのが本当にあったのかは知らないが。

であれば、本書の利休は、元禄の頃に誰かが「そうあって欲しい」と願った利休であり、本書の眼目は枝葉の部分、利休のエピソードにこそあるのだろう。

そして今更それを茶の湯から排除できない。

南方録が偽書でも、そこから形成された利休こそが真の利休だからである。