京都国立博物館 国宝展

行ってきました国宝展2期。

もちろん目当ては「龍光院曜変天目」。

あいにくの台風の雨のおかげでやや人入りの少なかった国宝展。

30分程度の待ち時間で入れました。

順路は最初に3階にエレベーターで上がり、ぐるぐる降りて来るのですが、龍光院曜変天目は1階にあります。

この日は順路逆走…出口からの進入が認められており、いきなり1階に入れました。

中には曜変天目だけの待ち行列があり、これも10分程度ではけます。

曜変天目のケースを中心にぐるっと廻って観察できます。

…EXPO70の月の石の展示みたい。

何周しても怒られないので気の済むまでぐるぐる廻るといいでしょう。


さて現物。

龍光院曜変天目は、3碗の中で一番「天目としてのサイズ、形」が天目らしいと思いました。

テクスチャーは、薄く青と緑がきらめく中に白というか肌色というかの星が散っています。

他の2碗に比べ、星というより「エイ皮の星」のような感じで、ややグロテスク。

失礼ながら3碗の中では一つ格下かな?という印象でした。



あとは東京で見れるものをさっくりぽんとスルーして見たいもの見て帰ればいいと思います。

ごあいさつ

2007年の6月19日。私は本ブログを書きはじめました。

本日はブログ開始10周年、と言うことになります。

電波の届かないとこへ旅行に行く、病気、などの抜けはありましたが、おおむね毎日更新でここまで参りました。

んでですな、10年という節目を迎え、これを機会にブログの毎日更新を中止することにいたしました。


別にお茶をやめるわけではないし、読書をやめるわけでもないです。ブログを閉鎖するわけでもありません。

毎日更新する為に本を読むことは、んで惰性でブログを書くことは、なんか違うな、と思い始めたからです。

更新頻度は下がるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

南方録と茶の湯

南方録の覚書を読み直してみた。

南方録の覚書は、通常の茶の湯の伝書の形式をとっていない。

普通、茶の湯の伝書は石州百ヶ条とか織部伝書のような、箇条書きを中心としたもので、南方録の記述は枝葉が多過ぎる。

でも、この枝葉があるからこそ、南方録は歴史に名を留めている。


我々は利休とは何か、を南方録から知り、形成している。

もしこの世に茶話指月集しかなかったら、利休は厳しいだけの意地悪ジジイである。
利休の茶の湯での地位は、こんなに高くなかったのではないだろうか。


元禄の頃、利休回帰のブームがあり、南方録は書かれたと言われる。
#その利休回帰のブーム、というのが本当にあったのかは知らないが。

であれば、本書の利休は、元禄の頃に誰かが「そうあって欲しい」と願った利休であり、本書の眼目は枝葉の部分、利休のエピソードにこそあるのだろう。

そして今更それを茶の湯から排除できない。

南方録が偽書でも、そこから形成された利休こそが真の利休だからである。

南方録14

○紹鴎ワビ茶ノ湯ノ心ハ、新古今集ノ中、定家朝臣ノ哥ニ、
  見ワタセハ花モ紅葉モナカリケリ
   浦ノトマヤノ秋ノ夕クレ
コノ哥ノ心ニテこそあれと被申しと也

花紅葉ハ、即書院臺子の結構にたとへたり、
其花もみぢをつく/゛\とながめ來りて見れば、無一物ノ境界浦のトマヤ也、
花紅葉ヲシラヌ人ノ、初ヨリトマ屋ニハスマレヌゾ、ナガメ/\テコソ、
トマヤノサヒスマシタル所ハ見立テレ、
コレ茶ノ本心也トイハレシ也、

贅を尽くした事がないと侘びには達せないよ、という教え。

書院台子の茶が、贅として捉えられているのが面白い。

南方録において、書院台子の茶は、侘び茶の根本の真の点前であり、贅の茶である。

台子を資格であり秘伝中の秘伝である、という考え方とはほんの少しベクトルが違う気がする。

又宗易、今一首見出シタリトテ、常ハ二首ヲ書付、信ゼラレシ也、
同集家隆ノ哥ニ、
  花をのミ待らん人に山ざとの
   雪間の草の春を見せばや
これ又相加へて得心すべし、

世上の人々そこの山・かしこの森の花が、いつ/\さくべきかと、
あけ暮外にもとめて、かの花紅葉も我心にある事をしらず、
只目にみゆる色バかりを樂む也
(略)
この兩首は、紹鴎・利休茶の道にとり用ひらるゝ心入を聞覺候てしるしをく也、
(略)

自分の解説を書き留められた利休は、宗啓の内容確認請求に対し、こう奥付に残している。

右數々之雑談、御書留ニ成候而後悔之事欺、併相違之所存無之候、同敷ハ反古張ニ成候へかし、かしく、

じぶんのしたり顔の解説が記録されたら後悔だし、捨てて欲しいとも思うわな。

昔は「秘伝を書き残すとはいかがなものか」という事だと思っていたんだが、読み返してみると「恥ずかしい内容なので捨てて下さいお願い」って感じかな。

南方録14

野点の心得について。

○野ガケハ就中、其土地ノイサギヨキ所ニテスベシ、
大方、松陰・河辺・芝生ナドシカルベシ、

まずは風光明媚な所を選べ、という話。でも必ずしも「風光明媚」とは言ってないわけか。「いさぎよき所」という文の解釈次第だが、「いさぎよき所」の語感はいいな。

主客ノ心ニ清浄潔白ヲ第一トス、シカレバ此時バカリ清浄ニスルニアラズ、茶一道、モトヨリ得道ノ所、濁ナク出離ノ人ニアラズシテハ成ガタカルベシ、
未熟ノ人ノ野ガケフスベ茶ノ湯ハマネヲスルマデノコト也、

野点だからといって特別な心がけがあるわけではない。
逆に普段からの心がけが大事で、茶禅が一味である以上、初心者の野点は形を真似た程度の事に過ぎない。

手ワザ諸具トモニ定法ナシ、
定法ナキガユヘニ定法大法アリ、其子細ハ只ゝ一心得道ノ取ヲコナイ、
形ノ外ノワザナルユヘ、ナマシヰノ茶人カマイテ/\無用也、
天然ト取行フベキ時ヲ知ベシ、

ルールがないからこそグランドルールがある。
そして得道の人なら、なにをすべきか判っている筈。

南方録の、この哲学っぽい部分を読めば、南方録がどうしてウケたのか判ると思う。
とにかくかっこいいのである!

南方録13

○メンツノコボシ、トヂ目ヲ前ニセヨ、引切ノ蓋置モ目ヲ前ニセヨト、宗易ハノ玉フ、又道安ハ、トヂ目モ蓋置ノ目モ客付ニセヨトナリ、イカヤウカ決定スベキカト問候
ヘバ、
易云、惣而道具ダヽミニテモ棚ニテモ、道具ヲカザリツクニモ、炭ヲツギ茶ヲ立ルニモ、道具ヲ我身ニ對スルコト也、置合タル道具モ、客ニ見スル為ニアラズ、マシテ所作ノ内ニ客付ニ見スルヤウニ取アツカフコト、ユメ/\アルベカラズ、

道具の向きをどうするか。
利休は自分に正面を向けるといい、道安は客に正面を向けるといった。
どっちにすればいいか確認したら、利休は自分正面にしろと言った。
わざわざお点前途中で客に向けるように所作をするのはやめとけとも言った。

サラバ茶入モ横ヨリ客ノ見ルヤウニヲクベキヤ、コハレテ見物ニ出ス時ハ客ニ對シ面ヲムケテ出スコト勿論也、カヤウノ事心得ノ第一ナリ、

茶入も客から見えるようにおくんですか?拝見の時はそりゃそうですけど。

コトニ蓋置ハ、能阿弥ノ臨濟ヲ置テ茶立ラレシニモ、印ノ文字、我ヨムヤウニシテ、柄杓ノエニツケヨトコソ傳授承候ヒシ、生類ナトモ同前也、
竹ノ目ヲ客ノ方ヘムカユルナラバ、印ノ蓋置モ客ノヨムヤウニ置ベキヤ、
カタ/\違逆ノコトナリ、メンツモ目モ我前ニシテ本意ナルベシト被申シ、

さて、道具の正面を客に向ける、という原則があった場合、茶室の構造によって道具の向きがあっちいったりこっちいったりしかねない。だから点前座に向けるのは無難な処置であろう。

この話の一番の問題は、宗啓が、利休の教えと道安の教えを聞き、どっちが正しいのか利休に尋ねたことかもしれない。

利休の弟子なら道安の言うことなんか聞かないし、それを書面に残して利休に確認を取ったりしない筈なんだが…。