茶杓の銘
私はまだまだ初心者なので、茶杓と棗の拝見の稽古は、客側としてしかやったことがない。
「茶杓に銘などおありでしたら…」と尋ね、「茶杓には銘が必ず付いているものとして尋ねなさい」と指摘されてしまった。ついつい裏の教則本の手順とかが頭に残っていたらしい。
さて、茶杓の銘は、茶会の趣旨により設定されるものだ。
もてなしたい客がいて、茶会の趣旨があり、趣旨に沿って軸も花も香も懐石も、それらの出る手順も決まり、そのオチが茶杓の銘のはず。
なので稽古での茶杓の銘は落語の落ちだけ言う練習をしている様な感じだ。
「どうりでげんのうで殴られるわけだ」
私は妻を客に、簡単な茶会もどきを開いた事がある。
趣旨を決め、軸を、懐石を、生菓子を、干菓子を、茶杓を自作し、花も生けた。
その時は茶は習っていなかったのできちんとした点前になっていなかったが、一応それらしき流れで話が進み、拝見もどきで茶杓の銘を伝えた時、全ての仕込みがそこで収束する様な感じを覚えたのを記憶している。
脈絡なしに適当な季語をいうだけの茶杓の銘に意味はないんじゃないかなー、なんだかなーとか思うのだが、どうだろう?
…ま、お稽古の最中にそんなのおくびにも出せませんけどね。