それぞれが自慢のもの

私のお茶/藤原銀次郎より。

老茶人の教える茶人の道具の褒め方の話は非常に勉強になった。

もし正客が「これは結構なお道具で…」といつたとして、すぐそれをホメてくれたのだと素人なら思ふかも知れないが、茶人仲間ではこの結構といふ言葉は、一通りの挨拶で、決してホメた言葉には受け取らない。
ほんたうに結構な場合は、たとへば、茶碗ならば色替が大層結構だとか、高臺の味はひ、釉の垂れぐらいがどうだとか、作行がまことに見事だとか、いちいち結構な個所を指摘して褒める。それでなければ本當に褒めたことにはならぬのである。

やっぱ恐ろしい世界よ。

ほんたうに良い道具を眞底から賞賛して、主人に満足と愉快を興へることは誰でも出来るが、主人は如何にも自慢であるが、こちらから見てどうにもならぬ物に使う言葉は、この道の達人ならでは容易に見つからない。

大変駄目な道具を褒めなきゃいけなくなるということか。
こういう事は僕等のレベルにだって起こりそう。ただ、目が肥えちゃった上に顔が広いとその頻度が上がりそうだし、何より有名茶人の場合「あの人が褒めてた」とか後で言われるのも辛いんだろう。

まだ私には実感としてないだけに、こういう苦心、というのがあるのが判って面白かった。