南方録と虚構

南方録は偽書だという。…ま、ぶっちゃけそうだろうと思う。

だから今後、利休の事跡を語る際に、南方録を引用して説明する様な本はどんどん減っていくだろう、と思う。

んでも、茶の師匠から弟子に伝承して行く内容から、南方録の内容を排除していく事は難しいだろうなぁ、とも思う。

三百年もつき続けた嘘は、立派な真実になると思う。

掛物ほど第一の道具はなし。とかを排除して、今更、茶壷が大事な時代に戻ったりはできないだろうし。


利用され続けた虚構として、もう一度南方録を眺めてみる。

思想的なものを伝えてくれるが、点前の細かい部分は伝えてくれない。だから、いろんな流派で支障無く利用できる。

…カネワリは、逆に難解過ぎて読んでても理解できない様な内容なので、茶の逸話としてはサクっとスルーしても差し支えはないレベル。


茶話指月集の様な、気に喰わないと勝手に帰ったりする不都合な利休像はそこにはなく、完璧超人としての利休がそこにいる。


立花実山がどう考えて書いたか知らんけど、茶の師匠にとってすっごく便利で使い勝手のいい書物になっていたんじゃなかろうか。