茶の湯古今春秋 その2 松永久秀の置合
天王寺屋他会記に載っている、永禄三年二月二十五日の“松永久秀殿御会"の再現。
天王寺屋他会記にはこうある。
小板に てとり、ことく(五徳)
台天目 てとりならへて、二ツ置之様に
つまり、小板に手取鍋と、台天目が並ぶ。
水指の座に台天目を飾る点前は、全く珍しい点前である。
で、こういった置き合わせの場合、著者はどう点前したか、まで記載されている。
一、点前にかかると、すぐ残月床の前に行き、茶入ののった八角盆を取り上げ、すぐ右手で茶入をおさえて立ち上がり、点前の坐につく。持っている茶入盆を、風炉の前に仮置きする。
二、水指の座にある台天目を取り上げて、茶入盆の左側に仮置きする。
こんな粒度の記述が4ページにわたって書かれている。
読んだらできそうかな?とか思って読んでいたが、まだ私には複雑過ぎて無理っぽい。
というか盆をあんな入念に拭くなんて、多分途中で嫌になると思う。
あと、他にも籠花入の考察がすばらしい。
実は、はじめ風炉なので、籠の花入を用いるつもりであった。
池田瓢阿さんの唐物脛当(すねあて)を約束してあったのである。
ところが、茶会記を調べていると、初期茶の湯では、夏に籠花入を用いていない。籠花入の出てくる茶会は次のとおりである。
(中略)
このとおり全部冬の茶会にだけ、籠花入が使用されている。
夏のお茶会には籠花入が一つも出てこない。
(中略)
籠花入の使用時期を定めたのは、さらにあとで、随流、覚々、如心斎時代ではあるまいか。
何となれば、古田織部は年がら年中籠花入を用いているからである。
非常に勉強になった。
籠の使用がむしろ冬のものであれば、昔思った疑問↓も解決できるからね。