茶道要鑑18 総括
茶道要鑑は瑞穂流と言う、おそらく当時でもマイナーな流派の家元の書いた茶書である。
かなりひねくれた感性が全体を貫いていて、そこそこ楽しい。
しかし、実はこの本、ものすごく珍しい視点で書かれた本なのだ。
それは「利休」という言葉が一切出てこない事。
利休が充分に復権した大正時代に、これは珍しいんじゃないだろうか?
茶史も、茶の招来から始まるが、紹鴎と初代瑞穂斎の話でおしまい、である。
徹底的に居ないことにされている。
利休を描くと紹鴎のダチの瑞穂斎が霞むから…なんだろうなぁ。
初代玉置瑞穂斎に比定されているのは和歌山日高手取城の玉置直和。
誰よ?って感じだが、普通の人はこの時代の紀州といえば、雜賀衆とか高野山とか思うんじゃなかろうか?
で、あの時代の歴史にちょっと詳しい人なら、「あの辺だと湯川氏の勢力範囲じゃね?」
とか思うかも知れない。
たまたま大阪城への抑えとして、紀州が戦略的な重要性を持ってしまったが故に御三家の一つの国持ちになってしまったが、正直それ以前の南紀って、中央の動きから隔絶されたド田舎。中央から遠く、小勢力が中央の動向と関係ない小競り合いばっかりしている地域。
そんな日高のマイナー豪族が、簡単に堺の紹鴎のトコロへ遊びにいけたりしないと思うんだよな。つーか、ぶっちゃけ銭がなかろう。
紹鴎の時代は相当の財力がないと茶は出来なかった、という事を著者がわきまえていなかったとしか思えないんだよな。
それなのに利休を無視するのは、初代が紹鴎とダチだった、みたいな話をマジメに信じてるとしか思えない。
でなければ、千家に何か含むものがあったか。