茶道と香道10 椅子手前
立礼のはじまりについて。
明治之新天地開けしより世上百般之事悉く舊を廢し新に改むるの流行滔々として茶人社會に迄波及し新規の事に非ざれば其事の善惡に拘はらず顧みる者だになき極端に立至れり是に於て椅子點法なる物おこれり
惟裏千家五代宗室の考案に成れる處也
立礼は明治に入ってから裏千家五代が考え出した。
五代だと常叟になって、江戸前期の人。そんなわきゃーない。玄々斎は十一代だし。
この数字がどこから来たのか謎。
立礼は玄々斎の考案らしいので、竺叟を初代にカウントしているのだろうか?
竺叟は表千家から入った人。そこを初代にするというのはなんともいやらしい気がする。
家元想本家たる表流にてはいまだに頑固の舊夢覺醒せず
かゝる事は嫌ひて絶て用ゐず
で、明治の終わりの時点では表千家は立礼は採用していなかった様だ。
今や萬國交際も先勝國の餘光いよ/\外客の往來頻繁となり茶事の如きも外人の知るを得て日本通に誇らむとする折柄なれば椅子點法の發明は尤便法なるべく交際の一手段ともなる事也
何の嫌ふ處か有らむやと思へば記者も表流なれど記するに憚らず
それでも著者は表にも立礼が必要と力説しているわけだが…。
今では表にも立礼はある。
いつ、どういう経緯で採用されたのだろうか?
それに本書の著者の提言は影響したのだろうか?