かながわ茶縁めぐり5 小田原御陣と聚楽第の茶会

十八 小田原御陣と聚楽第の茶会
(略)
天正十八(一五九〇)年五月二十日朝、津田宗凡は秀吉の小田原攻略に参じております。

秀吉が小田原攻めに持参した鴫肩衝
でも本題は小田原ではなく、凱旋後の聚楽第の茶会のお話。

利休はどんな辣腕をふるったのでしょうか。
『宗凡茶会記』でそれをうかがってみましょう。

九月二十三日朝 於聚楽
 殿下様 御茶被下候、
 黒田解勘由殿 針屋宗和 宗凡
一、床ニ帆帰御絵 但今度北条殿より取候也、
一、鴫肩衝紹鴎天目ノ内ヘ御入なされ候、御肩衝と御天目ト、間ヘ野菊一本御挟みなされ候、床ノ下、床柱前ニたたミノ上ニおかせられ候也、
(中略)
一、利休手前也、面樋持テ被出候、洞庫よりセト水指、柄杓被取出候て、床ノ前へにじり候て、御花ぬき候て、床ノ上、たたミの上ニ花ヲよこニなをしておき、御肩衝は其まヽ、天目入ながら持テ、本座へ被帰候、
(後略)

この茶会をどう著者は解したか。

九月二十三日の茶会には、秋の情景のある遠浦帰帆をもってきています。
茶碗飾りに野菊一本添えることによって、いっそう秋の情緒は増してきます。
そしてさらに利休は、床の茶碗飾りを水指前に持っていく動作をしています。
しかもそれはお点前の一環としてであります。
そこに渡り鳥の鴫の表現はきわまったというべきです。
西行の歌心がこのうえなく表現されております。
(略)
床から本座へ持ち帰った利休の姿に、いいがたい感動を覚えるのであります。
それには、小田原から京に帰り、聚楽第の席の歴史的状況が織り込んであったのです。

北条家から奪った遠浦帰帆が、秋の光景と、凱旋を表現。
床前に飾られた鴫肩衝の入った茶碗飾りを点前座に運ぶ所作が、渡り鳥と、凱旋を表現。

そんな感じですか。

まず思うのは、当時の茶の湯はあまり季節感を重要視していなかったのじゃないか、ということ。

そして、「紹鴎天目に鴫肩衝と野菊を入れ、床前に置いた」のは、利休の作為ではなく、秀吉の作為、ということ。

そうでなければ宗凡が「御入なされ候」と表記しないでしょう。


床前のこれが秀吉の作為であれば、その意図は「秀吉の美意識がそうさせた」もしくは「いやがらせ」。

利休の所作は「秀吉の指示通り」「アドリブ」「危険回避」になり、これは利休の茶と呼んで良いか怪しいです。

秀吉の面白茶の湯であって利休代点と思った方がよいのではないでしょうか。