尾張の茶道

熊沢五六他/河原書店/1972年。

室町末期から(まぁ当然か)江戸時代、現代までの尾張のお茶についての本。

イメージ的には信長であり、宗春であり、如春庵であるが、どうか?

まず中村昌生「尾張の茶」より:

近隣の茶
(略)
今川義元の風流

義元はお歯黒で文化人的イメージだが、実際どうか?

元禄七年刊行の「古今茶道全書」巻五に(略)「駿州義元公之路地庭」を掲出している。
(略)
駿河様御代聚楽法印とて紹鴎の師匠駿州府中ニ住居して茶道巧者也
見越の富士を庭中の砂浜へ移し見へ来て三島に用たる働を名人之作と珠慶法印賛美と申伝ゆ
(略)
図を見ると義元のも聚楽法印のも、茶室は当時のものとは思えない間取りに描かれており、どれ程信じうる事実かわからないが、義元がすでに茶の湯を相当深く嗜んでいたことから生じた伝えと解することは許されよう。

元禄七年、といえば桶狭間から130年以上経っている。その時点ですでにダメな感じ。
でも「紹鴎の師匠」ってのがおもしろいね。

初期の茶人の条件は「名物を所有すること」で、自身が豪商。駿河くんだりまで下向して茶を伝授するなりわいをするほど困ってない人達なんだけど、元禄時代には茶人は職業茶人になり下がっていて、芸人的な扱いに思われていたってことだよね。

あと、義元を持ち上げるのは、家康の義父だっていうのもあるかもしれない。


ま、そんな感じで面白いなと思ったトコをつまんでいきます。