普齋書入便蒙鈔13 廿三 廬地樹木禁好並塵穴の事

茶道便蒙鈔の記述:

一 廬地の作樣山の體を用ゆ。
第一の好ハ松。樫。紅葉の類。
萩薄也此外色々難及筆。
唐めきたる物をは嫌ふ。
惣して座席の花に入る草木をば廬地に不植也。
古織ハ。槇。樅。もつこくを専要とす。
利休ハ中にも是を不用也。

露地は山っぽく。
一番いいのは松、樫、紅葉とか。
萩やススキとか色々あって書ききれない。
和っぽくないのは駄目だよね。
床に飾る花は露地には植えちゃだめ。
織部は槇、樅、モッコクをメインに使ってた。
利休は床にも使わなかったけどね。

…。

この時代、ススキや萩は花入に入れなかった、という事?
もしかすると本当に花を一種だけ入れていて、ススキや紅葉を後ろにさしてみたりはしていなかったのかも。

そして利休以外では槇、樅、モッコクを花入に入れていた可能性が有る、ということか?
これは理解できねぇ。

扨大晦日に木の枝をおろし。萩薄を刈也。
是は新敷年を改る心也。
廬地の作樣は茶道の肝要と。一閑公謂ると也。
利休廬地の作樣如何と。一閑に尋られし時に
心とめて見ねハこそあれ秋の野の芝生にましる花のいろ/\と答らるゝとなり。

話は変わるが大晦日に木の枝を降ろし、萩ススキを剪定する。
新年は心機一転するものだからな。
露地の作り方はお茶でとっても大事だと紹鴎は言ったそうだ。
利休は露地の作り方はどうすればいいですか?と聞いたところ
紹鴎は「心とめて見ねばこそあれ秋の野の芝生に混じる花の色々」と答えられたそうだ。


…。


敷松葉の前身の様な風習がこの頃には有った、ということだろうか。
逆に言うと敷松葉は無かったのだろうか?

紹鴎の答えから造るとイギリス式庭園みたいになりそうな感じがしなくもない。


普齋の朱書:

廬地ニアル花ノコゝロモチ有其花ヲ小サシキニ入ルニコソ茶湯ハ有物ノカタツマリタル法度ハ茶湯ニハアラス
廬地ノ作リヤウハ木草ニヨラス筆ナトニツクシカタシ
惣〆書付ト云事ハ茶湯ニカキリナク候
住居ニヨリコゝロエアルコトナリ
歌ノ事イカニモソノ通ニ候殊勝に候

露地の花の心を小座敷にも映してこそ茶の湯なんだよ!
肩こりのするルールは茶の湯には要らねぇ。
露地の作り方は草木がどうとかと関係なく書ききれねぇ。
全部記述できるなんてことは茶の湯にはねえんだよ。
その建物によっての心得が違うんだ。
…でも歌の事はその通りだから。感心するわ。

廬地ニ有花何花ニテモ嫌申候也
山ノ體ヲウツス廬地花咲木草嫌申候ハ小知菩提ノサマタケナルヘシ
ソレ等ニコソ色々心アル事ナリ
利公ハサヤウノ事ニハアルマシク候
兎角所ノ體ヲヨク見届略中略外所々ノ首尾ニヨリ廬地ノイヒキハウツリ申間敷候

露地にはどんな花でも有るのは嫌われている。
山っぽい露地に花が咲く木を嫌うのは本末転倒だ。そこには色々意味が有るんだ。
利休さんはそんなこと言ってねー。
とにかくその場所の様子を良く見て個別のできによって露地の約束が変わってはいけない。

廬地ニ有花ノ咲木ウエヌ事シラヌ茶人なし
併花ノ咲木ウエテクルシカラズ
野山ヲウツス廬地ノサマナレハ心二ツニテカタツマリテヨロシカラズ
茶湯ノ時一枝手折小サシキヘ花ヲモノシタルサマモ心ニクカラヌサマ上手ノナスト
コロ
是ハ是ト定リタル事ニアラス時ニヨリテ感心ツクルゴナシ
廬地ノ作リヤウハ人々ノ住居ニ第一ヨルヘシ
山ヲツクリナシ野ヲ作リナスサマハ勿論ナリ
木草一本モナクモ不苦候
草木ウエテアシキロチモ有ヘシ
白土ナト入テ地ヲカタメタルサマ勿論分ヲシラヌ茶人ノナストコロナリ

露地に花の咲く木を植えないのは茶人の常識。
でも花の咲く木ぐらい植えちゃっていーから。
露地って野山を写すものだろ?ダブルスタンダードで肩凝らせてどーすんだ
茶湯の時一枝折って小座敷に持ちこんだ感じがうめぇんじゃねーの。
これはこうってルールはなくって時によって感心するとこは違うの。
露地の作り方は住んでる場所でそれぞれ。
山を造り野を造るのはあたりまえ。
草木一本も植えないのも有り。草木植えていても駄目なもんは駄目。
粘土みたいなので地面かためちゃうのは理解の無い茶人のやることだ。


…。


庭に花咲いてもいいじゃん、約束なんて堅苦しいぜ!か。…とりあえずロックだぜ、普齋。