喫茶南坊録註解27 隅切と炭の拝見

滅後より。

休ノ云、昔隅切ノ炉迄ハ炭ヲツキタル時、客衆見物スルト云フコトハナシ、
是臺子ヨリ移リタル折柄ナレバ、臺子ニテ見物ナキ儘ニテアリケル古風ナリケルニ、
右切ノ向炉ニナリテ客ノ眼下ナル故、釜引上ゲタル時、炉中ヲ見入テ火相ニ心ヲ附ケ、扨炭ヲツキタルヲ見テ其座ヘ伸ヘ縮メ火ノ移リヲ急キ、又ハウツリヲ遠クスル等ノ主ノ心遣ヒニ感ヲ起シ挨拶シケルコトナルヲ、頃日ノ茶人ハ偏ニ炭ヲ響膳ノ盛形ノヤウニ心得、主モソレヲ専ニ置並ベ、客モ其盛形ヲ見物シテ、炭ノ出来不出来ヲ挨拶スルコトニナレリ、大ナルヒカコトナリ、

昔は隅切の炉で(台子の風炉と同じ側なので)炭手前の拝見は無かった。
向切が出来て以降、亭主の心入れを拝見できるようになり、挨拶する事も起きたが、形式的に炭を置いて、その出来不出来を評価するようなやり方は大きな間違いである。

著者の解説。

昔トハ遠キ昔ヲ云フニ同ジ、即チ利休ガ紹鴎ト合議シテ、草庵ノ茶ヲ創立セシ日、即チ臺子ノ制ニ基キ、之レヲヤツシテ二畳敷隅切ノ炉ヲ案出セシ時ノコトヲ、此ノ昔ト云ヘルナリ。

利休が紹鴎と語らって二畳隅切を考案した頃が「昔」の時期である。


…。


二畳の茶室で、隅切が先で向切の方が新しいかどうか。
実は割とどうでもいいことである。

なぜなら、二畳の茶室よりも四畳半の茶室の方が早く、そこには出炉が切られていただろうからである。

ちょっとこの話、見当違いだよね。