茶道規範18 聞書 薄茶の心得

茶道便蒙抄における薄茶の心得。

一 薄茶立る時ならひの心持あり
濃茶はさむる事を厭うひてさらさらと立る也
薄茶は其いとひなければしずかに爰にて茶を立る手前の心得を眞に致すべし。
惣て薄茶の立つやう一通り手熟すれば萬事の手前成能物なり。
此故に宗易も薄茶立る一通り、大事に心得よと示したると也。

特に疑問はない。
利休の時代に濃茶と薄茶の区別があったかどうかが疑問だけども。

聞書の追加部分。

此の箇條は當流の至極なれば平日薄茶を稽古と心得手前に心をつくべし。
故に當流にては盆點。臺天目を許したるものにて手前の稽古には薄茶にてするなり。
諸藝ともに斯のごとく常を曠れはれを常と心得平日心がけ居る時は諸事手前ともに皆よく出來るものなりと祖翁しめされたるなり。

普段は薄茶の稽古をしなさいよ。
盆点や台天目を許された人も、稽古は薄茶でするんよ。
どういう芸でもハレを常と/常をハレと考えて普段から心がければよくなるよと宗偏はお示しになられた。

盆點や臺天目は特別な点前であって、練習はしない、ということだろうか?
私の流派でも「免状」の時に「特別なお点前」を習ったが、確かにそれ以降そのお点前はしていない。


にしても、茶道便蒙抄が「薄茶は冷める心配ないんだから、丁寧にやりなさい。丁寧にやるんだから勉強になるでしょ」程度のことしかいっていないのに、「真の心持ち」をやはり後世では拡大解釈している気がする。