閑夜茶話5 利休の子孫

利休嫡男は道安と云ふ。足疾あるを以て家を繼がず、細川三齋に仕へ、三百石を領す。

壺中爐談にある「蜂須賀氏にのがれて阿波にあり同所にて卒す」とは違う系譜。
肥後古流の一家に、古田氏の末裔がいるが、その辺と勘違いしたのだろうか?

少庵養子となりて千家を繼ぐ。
(略)
秀忠公の御時、少庵召出され采地五百石を賜はる。
然れども病身にて、年々の東行參勤等心に任せざるを憚り思ひて終に采地を辭し退休せり

これも見ない茶史。
参勤交代は家光の代にはじまった制度なので、秀忠の時代にはない。
また、秀忠の直臣ならば江戸住いなので、参勤が必要な筈がない。
たかだか五百石の茶堂にまで参勤させたら、旗本たちは経済破綻してしまう。
そんな事が判らない直弼ではないと思うのだが…不思議だ。

秀忠に見出され、江戸に移住したら千家はどうなっていただろう?
お留め流になって町方のお茶ができず、幕末に滅んでいたのではなかろうか?

一翁宗守
(略)
此末武者小路家代々相續

壺中爐談では「無嗣」であった武者小路千家も無事子孫ができた様だ。よかったよかった。