千家
千利休という名がある。
茶道史上ではあまりにも有名だけど、茶をやっていない人にも知られた名である。
でも、宗易が公の場で利休と呼ばれていたか確たる証拠はないらしい。たしかに大体の史料では「宗易」だもんね。
でも宗易には利休であってもらわないと、千利休由緒書にある「利休めはとかくとかく果報のものぞかし」が成立しないんだよなあ。
…んで、昨日の「新研究」の件で、どうもひっかかることがある。
宗易が「千」という姓?を名乗っていた確たる証拠ってあったっけ?
同時代の史料に「千利休」とか「千宗易」とかの名が入っていたかどうかってことなんだけど、会記とかにあっても後世の書写時に混入した可能性もあるからなぁ。
茶道古典全集の宗湛日記なんて、「宗易」しか出てこないのに巻末索引は「千利休」の項目に集約されてているくらいで、みんな千利休という名で考えたがるから。
もし宗易が同朋衆の千阿弥由来の千という姓を名乗っていたなら、山上宗二が記録していない筈ないんだよなぁ。
外の堺衆が「天王寺屋」だったり「誉田屋」だったりするなかで「千」というのは屋号として座り悪いし…。
どうももやもやする。