道具のありがたさ

大寄せの道具は"そんなには"素晴らしくないってのは昨日書いた。

素敵な道具をお出し頂いたなと思った時も、後で冷静になると「そんなに畏まる程の道具だったろうか」と思ったりもする。
大寄せの道具にこんなに畏まっていては、もし喜左衛門井戸でも出てきた日にはどんな畏まらにゃならんのか、とも思う。


でも、実際、大寄せやってる茶室にいる間は、かなり本気で「本日はすばらしいお道具を拝見させて頂き、ありがとうございました」という気分になっている。

少なくともその場でかなり「ありがたーい」気になっているのは、心のモードが「ありがたーい」モードになっているからだと思う。

あれってなんなんだろう?自分から好きになりに行っている。そんな感じだ。

買ってはみたが1度聴いただけでは好きになれなかったCDを、何回も聴き込んだら好きになれるかもしれんと、無理して聴き込んで好きになる。それと似てるかも知れない。全然関係ないかも知れんけど。