濃茶の一座建立
濃茶。
ご亭主…というか先生の素晴らしいお点前を拝見しながら、濃茶の練り上がりを待つ。
あまりに上手なお点前と言うのは、流れる様に進んで目にひっかかる事がない。
おかげで「はぁーーーすごいなぁ」という印象しか残らない。
むしろ茶入や茶筅の美しい置き合わせに目を奪われる。
これはもう明らかに美しい。自分であんな美しく一発で置けないな、と思いながら拝見。
…まぁそんなこんなでぼーーーーっとお点前を見てたら、いつのまにか濃茶が練り上がっていた。
で、うまく切替えれないまま、ぼーーーっとしたままで濃茶を喫してしまった。
失敗した〜。
濃茶の廻し呑みの際の一座建立は「おおありがたや皆様と濃茶を一緒させて頂けるなんて」という超前向きな心構えがないと入り込めない。
んで、入り込めないと、ただ呑むだけ、になってしまう。
漠然と濃茶に突入するのは、ほんとうにイカンと思う。…次は気をつけよう。
茶事の感想が「料理んまかった」になったのも、濃茶に気持ちが入り切れなかったことも原因にありそう。
でも、あれだね。
濃茶呑むときの心構えって、好きなミュージシャンの微妙なアルバムを聞く時のそれに似ているよね。判りにくいたとえかもしんないけど。