水戸茶道史考3 狩り先・雪朝の露地入り

光圀こと徳川義公の話。

『桃源遺事』は侍醫井上玄桐の筆録を元にして侍臣三木之幹等が編輯した義公の伝記で、
安積澹泊等の編した『義公行実』と並んで信頼すべき義公の資料である。
「むかし下総国小がね、武州江戸より六里と云ふ所へ狩に御出被成、
(中略)
其夜宵より雪こぼすが如く降り出でけるに、西山公ふと思召しよりて、武州小石川の御屋形へ人を遣はされ、世子綱條君へ仰せられ候は、今夜此地を御立ちありて、明朝御着あるべし。
(中略)
綱條公へ雪中ひた笠の御あしらへ御伝授あそばし候。」
小金ヶ原で狩をし一泊した時に雪が降ってきたので、西山公すなわち義公は、俄かに茶事を思い立ち、江戸に居る子息に使を走らせ、翌朝到着数寄屋入りの節、露地笠の扱いを伝授したというのだが、実に熱心なものである。

西山公は光圀の隠居後の号。

千葉の狩先で雪が降ってきたので息子を呼び出して茶事をし、露地笠の伝授もした、というほほえましくもお茶への執心がよくわかるエピソード。

大名同士のつきあいもあるから、お茶は当時の必須の社交方法。
光圀が家族間の伝授をしていて、誰かお茶の先生についていたわけではないということがわかる。


…でもこれ御三家だから許される、ってレベルだよなー。

殿様が江戸の外に跡継ぎを呼び出すって、謀反の意図があると思われてもしかたないと思うが…。