茶史點描

川上帚木 著。昭和十九年七月。よく本が出たとも思う。

扱っている内容は

  1. 東山義政
  2. 織田有楽
  3. 江戸将軍の茶
  4. 毛利秀元
  5. 立花立斎
  6. 小堀遠州

あと、棗の歴史と南方茶器について。

でもこれ、かなり異色のラインナップでない?

同仁齋を茶席なりと斷定する説には同意し難い。

え?

結局千姓を名乗つた茶人が、宗易と宗休と二人ゐることに氣がつく。結局千といふ姓は堺の町にあつたもので、わざわざ千阿彌などを引合に出すまでもない一字姓であつたと思はれる。

お?

戦前としてはかなりかなり斬新な意見だったのでは?

なお東山義政は珠光、織田有楽は利休、江戸将軍の茶は織部毛利秀元は家光を語る為の道具立てである。

立花立斎(宗茂)は朝鮮との戦争の英雄という事で。
立花実山の祖である薦野家に触れないし、南坊録を一顧だにしないのもめずらしい。
小堀遠州の話は遠州の来歴に終止し凡庸。
棗の話以降は各種薄茶器の名作製作者の紹介で資料価値はある。

茶人系譜に依ると、小堀政一門人として第一に家光が出てゐる。併しながら遠州が柳営の茶事に出たことは極めて稀で、即ち寛永十九年(略)
これから推して、家光が遠州の茶に親んだのは僅々三四年の短い間のやうに思はれるのである。

遠州流のページには以下の様に小堀遠州は紹介されている。

千利休古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となる。

が、「テクノクラート小堀遠州」と併せて読むと、遠州は江戸ではなく伏見在住で、家光を指南している暇なんぞないと判る。

こーゆー理性的/実証的な内容の茶書が、あのクレージーな時代に刊行されていた、といのも不思議だ。