新修裱具のしをり9

対幅

書院式の飾には対幅を正式とする。
正平十六年佐々木判官入道々誉が新将軍と共に都を落ちた時、彼の宿所を敵に明け渡すに見苦しからぬやうにと、室内を飾附した時の床飾の掛幅は三幅一対であつた。

知ってた。

当時以来書院には対幅を尊重したのである。
対幅には二幅・三幅・四幅・五幅・八幅の五種がある。
(二幅一対・三幅一対と称するのが古来の称へ方である)

知らんかった。

ていうか、どんなトコに掛けるのよ?

茶人は茶掛にしか興味ない部分もあって、どうしても三より上の対幅の知識がアレなんですよ。

八幅一対は足利義政が玉磵筆瀟湘八景を八幅に仕立てゝ銀閣寺の茶所の四方の壁に掛けたのが始であるとの説であるが、異制庭訓往来(吉野朝時代の書)に八幅一対瀟湘八景とあるからには義政時代より以前にあつたものらしい。

八幅対を四畳半に掛けると、東西南北に二幅づつというわけだけど、どう出入りするんよ?

同仁斎は床が一方、残り三方は障子か襖である。鴨居に釘を打ったんだろうか?
適当な話で、著者の異説を聞くまでもなく信じるに足りなさそうである。

徳川時代になつて十幅対がある。

まぁ爛熟するとなんでもありである。
襖絵の延長ぐらいの気持ちだったんじゃね?