2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

古事類苑21 苔蟲た手水鉢

閑田耕筆より: 一人茶を翫びて、苔むしたる石の盥水盤を愛し、今參の男に水かへさせけるが、彼苔を殘りなく洗ひ捨つるにおどろきて、 かくはするものかとむづかりしにこたへて、さきに見侍れば、蚯蚓蜒蚰蝸牛やうの虫、苔をよすがに宿りしかば、口をも嗽ぎ給…

「はなくず」

古事類苑20 革新

濁語より: 近世に茶の道を弘めし人は利休宗旦等が外には、片桐石見貞昌、小堀遠江守政一なり、 此の人々は貴賎異なれども、皆聖賢に非らず、常の人なるに、 今の茶人、必此の人々のしわざを學びて、 是は利休が法、是は遠州の法、是は石州の法とて、禮法を守…

「はなちらし」

古事類苑19 ちくでん

茶之湯六宗匠傳記より: 一 千利休は生國泉州堺の人にて、(中略) 唐物の茶入、利休見てほしく思ひ、右の藤四郎の脇指をうりて、七拾五枚に茶入をかい取、あまりの見事なるに、かんにたへ、不覺頭巾を取てなげし故なげ頭巾と名付、(中略) 後おごり有て禁裏より…

「てんかたいへい」

古事類苑18 石灯籠

くそ長いので要約のみ。原文はここ。http://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/html/yugi_1/yugi_1_0594.html 南龍公言行録より: 徳川頼宣の江戸屋敷へ、頼宣所持の遠州作の石灯籠を拝見させて欲しいという申し入れがあった。頼宣はご機嫌で、茶会の準備の為…

「うらら」

古事類苑17 船頭

茶湯古事談より: 上京後藤が露地は小堀遠州の好みにて出來し、加茂川を志かけて大キなる泉水あり、 待合より堂腰掛までは船に而行なり、舟頭は小坊主のよくこぐ者也、 中流にて舟ちんに肩衣十徳おかせ給へと、無理にとらせて、夫より袴ばかりにて路次入なり…

「はなのまぎれ」

古事類苑16 露地と侘び

和泉草より: 一 古來ハ路地ナシニ表ニ潜ヲ切開キ、座敷ヘ直ニ入リタル也、侘ビテ面白シト也 昔は露地ってのは無く表にくぐりを付け、座敷にいきなり入ったものだ。侘びて面白かったね。…ってことか。初期茶道に本当に露地が無かったかどうか、というのは考証…

「さくらふぶき」

千利休

清原なつの/本の雑誌社/2004年。 昔から存在を知っていたけど、なんでか読んでなかった漫画。松屋会記の「京与四郎」が利休だったりとか、利休が紹鴎の弟子だったり、みんな正座の茶だったりとか、茶史茶説の内容としては、今やどうかな?という部分もあれど…

「こうう」

千利休の謀略

谷恒生/世界文化社/1992年。 本能寺の変後、信長の後をついだ秀吉。しかし彼は、意外に無能。確たる政権構想を持たずに成り上がってしまった。そこで秀吉は利休に接近。利休は信長と仲良しで、なんと信長の政権構想のブレインだったのだ。信長の死によってや…

「とおやま」

古事類苑15 道幸

茶道望月集より: 一 右道幸を見立初めたる事は、手グツ人形をツカイ初タル者を道幸の坊といふ也、 箱をせおふて旅行自由する様に拵、夫に色々人形を入てツカイ歩行せし、 其箱より見立て初し事と也、其人の名を取て今以道幸と云と也、 今も西の宮より出て、…

「はるのやまかぜ」

古事類苑14 数寄屋

濁語より: 近き世に人のもてあそぶ茶の道こそ、いと心得ぬことなれ○中略、 かこひのつくりは、傳へ聞く維摩居士の方丈の室よりも今少しせばくして、小さき窓をあけたるのみなれば、白晝にもくらく夏は甚あつし、 客人の出入る口は狗賓の如くにて、くゞりはら…

「みなものさくら」

古事類苑13 隅炉の小板

茶傳集より: 一 隅炉には勝手ノ方爐丈ケにして、巾一寸七分五厘の板を必入ル也、 無左候へば柄杓引にくヽ、爐のほめきにて壁痛ム也、 隅炉には勝手の方に炉の長さに巾5センチくらいの板を必ず入れる。 で無いと本勝手の時左過ぎて(右手で)柄杓引きにくいし、…

「ながや」

夜桜2010

近所にちっちゃなちっちゃな穴場の公園がある。 桜が数本植えてあり、公園とその周囲の街灯が適切なライトアップになっている。 今年はなんか、桜が咲きはじめたな、と思ったら寒くなったせいか、満開になる前に桜が散りはじめた。それもハラハラ…ではなく、…

「はるかぜ」

古事類苑12 ちゃせんとうし

茶道濁言より: 茶筌投しなどいへる人あり、是もいかゞ有べき、 茶をふり立る爲の筌なるを、何の爲に投るといへる哉、 心得ぬことなり、湯にて茶筌をとおす事なり、 茶筅「投し」なんて言う人もいるが、それはどうだろう? 茶を立てる為の筅なのに、なんで投…

「はなにあらし」

古事類苑11 利休と秀吉

利休/秀吉の関係に関して。"茶話指月集"は「利休は秀吉に言われて台子を習った」くらいしか書いていない。では他の茶書は?紳書曰く: 臺子の事、織田信長、利休をめして茶を立てさせられし、臺子の體ことごとく創意を出して古制にあらず、其後豊臣太閤の時…

「はなぐもり」

古事類苑10 台子を習う

(今更ながら)茶話指月集より: ある時、豊臣關白秀吉公、始て千宗易に臺子の茶湯仕べきよし仰出さる、そのころ辻玄哉といふもの古來の臺子をしる、宗易玄哉所へゆきて古流をならひ、御殿においてつかうまつる、公上覧の後、われもむかし臺子をならふ、汝が茶…