2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「おぐらやま」

茶道の心

松浦素/国際図書/1966年。鎮信流の松浦家ご先代の書いた、お茶の本。初代*1松浦鎮信は素晴らしい文章を書いた人だ。 文武は武家の二道にして、茶湯は文武兩道中の風流なり。さるによりて柔弱をきらふ。つよくしてうつくしきをよしとす。 初学にはひやうし(拍…

「ゐかい」

クラス感

今回は茶の湯の存在を知っている人/存在も知らない人。この二つを較べると層の断絶の様なものを感じるか?という話。 もちろん、その二つの間にはある種の層の違いを感じざるを得ない。確実に断絶はある、と思います。ただ、その層というのは上下の層なのか…

「うつろひ」

「寸松庵色紙」の筆者

北畑観瀾/角川書店/1991年。作者は言う。様々な古筆が伝わっているが、ほとんどは「伝…」である、と。本書は「寸松庵色紙」の筆者を解き明かす、というチャレンジャーな本である。まずはいきなり漢字の歴史である。 文字の発見 ええっそこまで遡りますか。「…

「あきあじ」

足袋の話の次は、ちょっと上がって袴の話。袴、というのは本来は動きの激しい武家の物。あまり町人はしなかった、とされているみたい。でも、室町期の茶人達はなんらかの袴っぽいものを履いていたと思うんだよね。武家の馬乗袴をしていたかは判らないけど。…

「ありあけ」

足袋

今はどうか知らないが、裏千家の業躰は冬でも素足だったそうである。理由は良く分からない。修行中の身だからなの?吉原の花魁も年期が明けるまでは素足だったらしいが関係あるんだろうか?それはさておき。山田宗偏の茶道便蒙鈔(1680年頃)に以下の様にある。…

「はじょうつい」

羽澤流

羽澤流家元さん、というブログを読んだ。http://blogs.yahoo.co.jp/hazawa3いろいろぐぐると、どうも政治イベントでお茶を点てる人みたい。…この書き方だと、なんか茶坊主みたいですけど。ブログ自体は案外面白い。でもどんな流儀なのかさっぱりワカリマセン…

「ふゆこだち」

教養

昔の茶人達。ぶっちゃけ近代数寄者達は、大抵教養があった。謡、和歌、俳句、能、古典。彼らはそういったものを良く知っていた。そしてこの教養をベースにお茶の趣向が組まれていた。 こういった教養は、私にはまだない。今後も備えられるかは、良く分からな…

「かびや」

千利休と日本人 いま甦る「ばさら」の精神

栗田勇/祥伝社/1990年。 じつは、私はかねがねこの「ばさら」こそ、利休とその茶のルーツだと考えているのである。 なんと、千利休は婆娑羅である、という事を書いた本。闘茶と侘び茶の関係を考えると、そう言えない事もないけど、そう言わないよな、フツー…

「ペンまわし」

無心

森田統“朝鮮茶碗と私”に、以下の様な話が載っている。 焼物作り、特に茶碗を作る陶工はまわりからよく批判される。私も随分といわれて来た。その内一番多くいわれたのは、無心で作りなさい、という言葉であった。 (中略) 開き直るようだが、本当に茶碗が無心…

「プロペラ」

朝鮮茶碗と私

森田統/昭和堂/1983年。高麗物の写しを作っている森田十雨氏の、熱い本。温泉町の陶芸家であった筆者が出世したのは、湯治に来たコカコーラ社長、高梨氏との出会いだったらしい。 そして蓑半農軒や、林屋晴三等と出会っていく…が、そういう人との交流はあん…

「げっと」

やつれ風炉

最近、やつれ風炉とか、駄目。いや、本当にやつれた奴は"イイネ!"って感じなのだけれど、わざわざやつれた形に作った奴が、どにーもダメ。おかしいな、ちょっと前まで「やつれ風炉カッコイイ!」とか思っていたんだけど。わざとらしさ、“さばしたる”感が鼻…

「にっぽんごう」

着物講座

私は、着物が一応着れる。 綺麗に着こなせているか?かどうかは正直良く判らない。男の着物は簡単でよかった、とか思う。それはさておき。 お茶をやっていく上で、着物は避けて通れないものだ、と認識している。いまんとこ。お茶の先生はもちろん、先輩も、…

「みすたーなったー」

古今東西陶磁器の修理うけおいます

甲斐美都里/中央公論新社/2002年。金継ぎ勉強してみたい、の一念で、何故かうっかりイギリスへ陶磁器修復を習いに行ってしまった女性の本。勿論イギリスで金継ぎは学べない。なので帰国後に日本で別に金継ぎ学びに行っています。これがかなりずーずーしい弟…

「かみかえり」

茶碗と私

小森松庵、田山方南、黒田陶々庵/光芸出版/1968年。日本各地の様々なマニアに、自分の茶碗を語らせた本。名品名物だけでなく、掘り出し物の正体不明の茶碗や、自身の手捏茶碗の人もいて、いろいろ楽しい。川上閑雪は不白手造赤茶碗。千宗室はアメリカ製天目…

「とりっくおあとりーと」

利休百首談義

土肥宏全/自費出版/1968年。昔、「利休百首の研究書はみたことがない」みたいな事を書いた。 http://d.hatena.ne.jp/plusminusx3/20071230あった。それがこの本、利休百首談義である。 どの辺が研究か、というと百首扇版と、青木宗鳳著の宗鳳本の比較研究を…