2017-01-01から1年間の記事一覧

「茶の湯」と「茶の芸術」

トーハクの「茶の湯」展。1980年に同じトーハクで開催された「茶の芸術」と比べてみる。まず数から。 項目 茶の湯 茶の芸術 展示品数 259 399 国宝 20 30 うん。37年前の方がスケールはでかい。つーか1.5倍。でも展示はほとんどかわんない。喜左衛門井戸が来…

東京国立博物館 茶の湯

トーハクの茶の湯展の謎1。なんで平日行っても混んでるんですかね…。トーハクの茶の湯展の謎2。なんで展示室2は空いてるんですかね…。もしかするとだけど、展示室1を見終るとミュージアムショップがあって、そこ越えて展示室2なのに気付かず、帰っちゃう人っ…

日本茶の湯文化史の新研究4

んで庸軒の話。それも、茶風について。 まず「正保二年十月廿一日朝小堀遠州殿御茶被下候留書」(「茶道全集」巻五)から考察しよう。 この留書は庸軒が遠州の茶会に招かれた折の覚書である。 (略) この茶会に臨席した庸軒は三十二歳であったが、当時すでに遠…

日本茶の湯文化史の新研究3

宗旦の話。 少庵の子宗旦は、退潮著しい千家の復興を計るべく腐心したことは、「元伯宗旦文書」の多くの「有付」、すなわち息子達の就職に奔走する宗旦の姿から知られることになった。 そして、世にいう「乞食宗旦」の異称が広く喧伝されていたために、清貧…

神屋宗湛と毛利輝元

昨日の話について、さらに疑問が出たのでここに記す。神屋宗湛の曾祖父は岩見銀山を開いた人物で、毛利家とは縁が深い。 宗湛日記にも毛利家の人間との茶会は再三出てくる。 お得意先といってもいいだろう。慶長4年2月7日にも、宗湛は安芸宰相つまり毛利輝元…

日本茶の湯文化史の新研究2

織部の茶の湯について。 織部の茶を「ヒツミ、ヘウケモノ」好みと、その特色を一言でいうのが通説となっている。 それは、「宗湛日記」の慶長四年(一五九九)二月二十八日の条に、「一古田織部殿伏見ニテ、御会、(中略)一、ウス茶ノ時ハ、セト茶碗、ヒツミ候…

千家

千利休という名がある。 茶道史上ではあまりにも有名だけど、茶をやっていない人にも知られた名である。でも、宗易が公の場で利休と呼ばれていたか確たる証拠はないらしい。たしかに大体の史料では「宗易」だもんね。でも宗易には利休であってもらわないと、…

日本茶の湯文化史の新研究

矢部誠一郎/雄山閣/2006年。茶道系古本屋で良く並んでいる立派な研究書っぽい本。 “新研究”とはなんであろうか?「はじめに」より。 日本茶道史の研究に手を染めてから早四十年の歳月が流れた。 (略) 日本茶道史の中でも、他の人が手懸けていない分野の研究…

発掘!お宝ガレリア 信長・秀吉・家康が愛した茶道具は入れ物もスゴいんです!展

トーハク茶の湯展の宣伝番組…と思いきや、茶道具の箱特集と謂う不思議番組。有楽井戸の箱からスタート。 箱書きが保証書みたい、という話。 10万の茶碗が家元箱書で20万に化ける話もすればいいのに…。 次いで初花茶入の箱。 徳川さんまで登場し、自ら初花の…

数寄空間を求めて7

この火燵、いつの時代に始まるものか定かではない。 しかし、遅くとも室町時代には使われている。まずその例から見ることにしよう。 というわけで突然の火燵(こたつ)の話。 茶の湯と関係なさそうじゃねぇ?ところが。 『蔭涼軒日録』によると、延徳二年(一四…

数寄空間を求めて6

焼火(たきび)の話。 焼火では薪を焚く。 (略) 御湯殿上の焼火は、置囲炉裏で焚かれた。 『御湯殿上日記』文明十七年(一四八五)正月十日の条に「御たき火のおきゆるり、あたらしくこしらへて」とあり、「おきゆるり」すなわち置囲炉裏を作っている。 床を切っ…

数寄空間を求めて5

雪の話。 京の町に初雪が降った。天正十七年(一五八九)十一月十六日のことである。 内裏では、「雪消し」の贈物を楽しんでいる。けさ初雪ふりて、御ゆきけし、なかはしよりいつものことくこしらへてまいる。 ひしひしと、みなみな御ゆ殿御たき火にてまいる。…

数寄空間を求めて4

文明八年(一四七六)元旦。 三条西実隆は、前の晩から宿直していた寝殿を出た。 ということで元禄後水尾サロンを離れ、室町へ回帰。 実隆は紹鴎の連歌の師匠である。 夜は暗く、照明も発達していない。 にもかかわらず実隆たちは、その暗い夜を充分に楽しんだ…

数寄空間を求めて3

花見の続き。その後、土筆摘みというイベントと誹諧発句といろいろ楽しんだあと、「三畳敷の茶屋」に移動する。 承章はこう書いている。 御茶屋に於いて、新院の御振舞なり。御茶の前、御床に筒花入あり、おのおの廻花これあるなり。 花見に廻花か…。花見の…

数寄空間を求めて2

春である。春といえば花。そして花と言えばもちろん桜。 (略) 慶安三年(一六五〇)三月十日、後水尾院の仙洞御所で「御花見」があった。 金閣寺の僧、風林承章の日記『隔蓂記』をもとに、花見の様子を見ることにしよう。 この時代の風流は『隔蓂記』に大きく…

数寄空間を求めて

西和夫/学芸出版社/1983年。サブタイトルは「寛永サロンの建築と庭」。弱冠妄想混じりで寛永の建築ロマンを語る本である。序章は「後水尾院の八ツ橋」。 この橋は何のために作られたのだろう。幅三間弱、長さ七十間ほどの水路に、八つ架かっている。 ひとつ…

ストーリー

自分はお酒が好きである。自分の茶事になら、日本盛から出ている「惣花」にしよう。そう決めている。 地酒ブームの中では注目されない大手の酒だが、大変うまい。この酒のいいところは、宮内省御用達で宮内省の宴会では常に使われている、という噂のあるとこ…

夜桜2017

近所にちっちゃなちっちゃな穴場の公園がある。 桜が数本植えてあり、公園とその周囲の街灯が適切なライトアップになっている。今年は桜の季節に急に寒くなり、ちゃんと咲かないんじゃないか、あるいは桜が遅れるのではないかと思ったりもしたのだが、結果で…

会記から見る茶室と炉

三つの会記で茶室の間取りと炉のサイズがどう扱われていたか調べてみた。そこからの結論。茶室が広間の囲いから、六畳敷の茶室に転換されたのは永禄年間。それが二畳敷などの小間に発展したのは天正十年以前。炉に関してもりやはり永禄年間から一尺四寸炉へ…

宗湛日記と間取りとか

では時代の下がる宗湛日記ではどうか。 五日朝 一宗傳 御會事 座敷二疊半 冒頭からこうである。天正十四年には、茶室はさまざまでありそれを拝見するのも御馳走になっていたんだと思う。 一大和屋立左 御會事フカ三疊 四寸イロリ わざわざ(一尺)四寸の囲炉裏…

天王寺屋と間取り

ついでに天王寺屋他会記に「間取り」が出てくるのはいつだろうか?これまた宗達茶会記にはない。 宗及会記はどうか?天正七年に以下の記述がある。 天正七 卯正月七日朝 於坂本 惟任日向殿會 一 六帖疊敷ニ而、炉 かまなし、 火斗 一 床 八重櫻之大壺あミか…

天王寺屋と炉のサイズ

では、天王寺屋他会記はどうか?天王寺屋の他会記に「炉のサイズ」が出てくるのはいつだろうか?永禄9年までの宗達茶会記にはない。宗及会記はどうか?永禄十年 同十月一日朝 錢屋宗仲會 叱 及炉二尺、アラレカマ、釣テ ついで以下のもの。永禄十一年 同十月…

松屋と間取り

では、松屋会記に「間取り」が出てくるのはいつだろうか?久政会記の永禄十一年(1568年)堺中セウシ松江隆専へ、の会からである。それまで間取りに興味を示していなかった久政が、この年の堺旅行中に「北向四畳半」などと書き記すようになった。天文十一年(15…

松屋と炉のサイズ

炉のサイズは利休あるいは紹鴎あるいはその両名が現在の大きさに定めた。 まぁそういう伝承がある。では松屋会記で炉のサイズについての言及はどうなっているだろうか?松屋久政会記を読んでみる…読んでみる…全然ない。 久政がものの大きさに興味がないわけ…

4月の展覧会

さて春展示本番。今年は関東が充実していますね。その中でなんといってもトーハクの「茶の湯」でしょうか。 ただ、どこかの美術館で見たことのある名品、というのを観に行くのに激混必至なのはちょっと躊躇しますが…。あと湯木もなんかやる筈ですが、毎年こ…

茶室考19

最後に粟田添星に関して。 日本の伝統芸術である茶の湯を探求しつづける筆者が、日本建築の粋としての茶室建築と取り組んだのが終戦後、即ち海軍に所属して南方ブーゲンビル島に進出、悪戦苦闘の末、無事にも第一線から幸い帰還してからの事である。 粟田の…

茶室考18

一方庵考より。 武者小路千家四代直斎好一方庵由来書によれば、「大阪十人両替千草屋(平瀬家)三代目、明和三年(一七六五)に浮世小路御霊筋入南側の一廓を買入れ別宅としたる時、折柄京都武者小路千家官休庵にありし 茶室を当主一啜斎より買取り移築せり。席…

出光美術館 古唐津

面白いけど、いろいろちぐはぐな展示。まず最初の位置に、奥高麗や絵唐津や斑唐津朝鮮唐津が並ぶ。 ここで唐津の技法を紹介しようということなのだと思う。だがここですべきは「古唐津とはなにか?」を定義することだったんではなかろうか?それをしないと古…

茶室考17

待庵の茶続き。 早い時代に妙喜庵主の内で茶を余り好まない庵主の頃、勝手に隅炉に改めたとする説もあって興味深い。 その後、千家で妙喜庵点なる点茶方法を考案した模様である。 宗鳳の説では、妙喜庵は隅炉ではなかった。 それが改修され、隅炉になった後…

茶室考16

待庵の茶。 青木宗鳳著「盆立一件」「妙喜庵立の事」等の筆録によれば、 「元来山崎の妙喜庵は、利休太閤秀吉公を御申致たる数奇屋にて候へば、元来貴人座敷と申て正客と主とは敷居をへだて茶を点て申茶所にて御座候也。 即妙喜庵を戻り大目に立候へは、次の…