読書

茶室考19

最後に粟田添星に関して。 日本の伝統芸術である茶の湯を探求しつづける筆者が、日本建築の粋としての茶室建築と取り組んだのが終戦後、即ち海軍に所属して南方ブーゲンビル島に進出、悪戦苦闘の末、無事にも第一線から幸い帰還してからの事である。 粟田の…

茶室考18

一方庵考より。 武者小路千家四代直斎好一方庵由来書によれば、「大阪十人両替千草屋(平瀬家)三代目、明和三年(一七六五)に浮世小路御霊筋入南側の一廓を買入れ別宅としたる時、折柄京都武者小路千家官休庵にありし 茶室を当主一啜斎より買取り移築せり。席…

茶室考17

待庵の茶続き。 早い時代に妙喜庵主の内で茶を余り好まない庵主の頃、勝手に隅炉に改めたとする説もあって興味深い。 その後、千家で妙喜庵点なる点茶方法を考案した模様である。 宗鳳の説では、妙喜庵は隅炉ではなかった。 それが改修され、隅炉になった後…

茶室考16

待庵の茶。 青木宗鳳著「盆立一件」「妙喜庵立の事」等の筆録によれば、 「元来山崎の妙喜庵は、利休太閤秀吉公を御申致たる数奇屋にて候へば、元来貴人座敷と申て正客と主とは敷居をへだて茶を点て申茶所にて御座候也。 即妙喜庵を戻り大目に立候へは、次の…

茶室考15

宗鳳による待庵の実見。 宗鳳著「利休茶道百首之註」によれば、 「妙喜庵の床柱の釘は正面に打たる跡ありて中釘なし。但これも近世無事故に貫取たる跡有し也。此所は正面に打ても特に不構所なれば正面に打ちたると見へたり(略)当初は床の大平に中釘の花入釘…

茶室考14

「待庵考」より。 妙喜庵待庵に就いて比較的詳しく伝えられた記録としては(略) さて、この記録と同時代─享保、元文、宝暦にかけて大阪遠州流として活躍した青木宗鳳が書き残した一六〇冊に及ぶ膨大な「浪華文庫」(架蔵)を校本として、妙喜庵待庵にスポットを…

茶室考13

照明の話。 お茶の道場である茶室は、伝統的な茶の湯と共に日本の伝統美を伝えるものであり、故実や口伝に準拠して造る建築で、これほど禅の表現されている建築としては、茶室建築以上に出るものはない位で、茶室の設計は、採光の点ばかりでなく間取り、出入…

茶室考12

炉縁の話。 「直導上」に、 「珠光宗悟迄は間半を二ツにして其の一分也、一尺五寸七分半四方是をふり分のいろりと云。紹鴎より一尺四寸にして用る也。古法大にして見て悪きとてつめる也。」 直導上は不詳。 茶道正伝集」東林編に、 「鴎休二居士相談を以、台…

茶室考11

道庫について。 道幸の作事について「茶道正伝集」を見るに、「道幸の横の広さ内矩二尺五分也、深さ内矩一尺五寸也、高さ内矩一尺六寸五分也、道幸を箱のことくにさして底なしにして底には勝手の畳を用い候也、 二尺五分の五分はどこから出てくるんだろうか…

茶室考10

畳に関して。 本書は多くの畳の故実を紹介している。明和元年(1768)の「和席編」より。 「大目畳の濫觴を考るに、茶湯奥儀抄に曰、 或人宗易を呼び茶会有し時、手前見へざる故、下に下地窓をあけ大目を切て、 落しかけを入中柱の間をあけて六尺三寸の畳を、…

茶室考9

壁の話。 珠光が四畳半を作った時代から紹鴎の四畳半に至る迄は、室町末期頃の書院造と同様に壁には白の鳥の子紙を張ったものであるが、これが堺の利休四畳半になると床の間の壁だけが白の鳥の子張になり、他のところは土壁になって来た模様で、草庵の風が起…

茶室考8

天井について考察があるのはめずらしい。天井についてはついつい、作意の有りすぎのうざったさから食わず嫌いになりすぎる。 住宅に於て賓客を寓する「礼の間」とか家族たちの居間、台所と云ったものが一つの建築の内に取り入れられたのと同様に、茶室は最初…

茶室考7

床について。床の由来や変遷はばっさりオミットする。通り一遍だし。 利休の床の大きさは紹鴎に習って初めは一間の間口であった模様で、一間間口の床を持つ茶室としては、奈良四聖坊利休四畳半や、利休土間付き四畳半(和泉草)、利休もづ野二畳(茶伝集)などに…

茶室考6

吸茶…即ち濃茶の呑み廻しについての考察。 更に「茶道正伝集」によると、古は茶会の法として濃茶を一人前に一服たてにたてたもので、それで人数が多くては茶をたてる時間もかかりその間連客も退屈を感じるので、座敷は八畳敷、六畳敷、四畳半等でも客数は二…

茶室考5

茶室の平面構成…つまり間取りについて。 茶室としての四畳半に関しては、珠光が四畳半の書院風茶室を営み、次いで紹鴎はこれに倣って、稍々草庵風の手法をこれに加えて所謂「行」の四畳半を造ったのであるが、紹鴎から利休の時代になって、同じ四畳半でもそ…

茶室考4

利休四畳半は、その形紹鴎四畳半に似ているが、壁は張付を塗壁に改め、窓を塗残して下地窓を作り、入口は帯戸障子の書院風の構成を改めて、初めて利休創意の躙口としたもので、これは利休がある時、河内牧方を通った折に漁人がその家の小さい入口から出入り…

茶室考3

その後大黒庵紹鴎になって富貴華麗なのは茶の湯にふさわしくなく、真率且つ幽閑で淡泊こそ真の風趣であると着眼されたものだが、まだ利休居士の侘に及ばす、然しながら茶室の制は先づ地炉を設けて田舎の風趣をうつし、葭棚を作事して台子の礼を省略すること…

茶室考2

次いで東求堂同仁斎。 晩年東山殿は、西京東山に銀閣を営み、東求堂を立てて、小書院を四畳半とし、これが四畳半小座敷を造った鼻祖である。 四畳半でお茶をしていた、の始めは同仁斎ではないが、四畳半の独立座敷の最初はこれである、と著者は言う。うん、…

茶室考

粟田添星/村松書館/1979年。「総論」から。 古、桓武平城の御代、伝教、弘法の諸大師が吾が国に茶を将来した時代は、煎茶の法もたぶん陸鴻漸が著した「茶経」の法であったものと想像するのみであるが(略) 栄西と高弁との結びつきによって将来された宋の風俗…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻7

「西洋食卓法(承前)」より。大正時代のおもてなし。連載記事らしいので文脈がややつかめないのだが: 招待を受けた客は、豫定時間の十分前後に其場所に到着し、帽子や外套等を置く室に行きますと、其處には接待員か、乃至下人が宛名の有る状袋を盆に上せて待…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻6

「西洋菓子の製造法=果實の保存法=」より。今回はホントお茶関係ないのだが…。 西洋の家庭では、「シャベツ」或は「アイセス」と云ふて、果實を「アイスクリーム」の樣に氷固して食用します。 茲に述べます果實の保存法は、斯ふしたものを造るに使用するも…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻5

「秋に適した日本菓子」の章。 石州餅材料 上等葛粉一合(三十匁位)。 清水三合 粗目糖一合五勺(六十匁位) 赤並餡二十匁製造手順 久助印又は廣吉印等の上等の葛一合を器に入れ、其れに一合程の水を加へ、葛を良く溶き、 久助印は多分ここ。 http://www.kyusuk…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻4

外国の料理に関する2点。まず「西洋料理大意 エンツリースの料理」の章。 ▲コロツケツトの色々(Various Kind of Croquettes) 「コロツケツト」は、單に挽肉でばかり料理するものではなくて、魚肉や、時に野菜で造る事も有ります。 コロッケはかなり一般化し…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻3

本書で扱っている料理、それも懐石に関しては現代となんら変わるところがないといっていい。むしろ冷蔵とか難しかった時代によくぞここまで刺身が出せるなぁと感心&心配するところもある。そんな中で懐石の八寸の紹介から: 鱚を三枚におろし、薄身をすき取…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻2

額田豊「食養生と民間療法」より: 世間で評判する滋養剤ととか滋養物とか云ふものゝ中には随分如何はしい物もありますが、かう云ふ物に對しては世の中のすべてを支配して居る科學上より研究して、之に適切な世評を加へると云ふことが頗る大切で、また世の中…

家庭料理講義録十月号紅葉ノ巻

東京割烹講習會編/1917年。大正時代の料理本。しかも定期刊行物である。豊かな話だ。表紙に「板垣伯爵夫人主宰」と書いてある。これは板垣退助の妻絹子である。うまい料理を手早く経済的に作ることは、自由民権運動と同じぐらい大事で、女性の時間や権利を勝…

庭園入門講座7 岩石・庭石・石組方法5

「石組の法」の章。 いよいよ具体的な石の組み方になるのかと思いきや: 昔は庭に石を入れて石を組み、石庭とするとき「石をすえる」とはいわなかった。 石を置く、重ねる、立てる、たたむといった。 (略) 飛石はさすがに平面であるので立てるとはいわず「打…

庭園入門講座7 岩石・庭石・石組方法4

(6)風化の話の次がこれである。 (7)品位「石は生きている」という、科学的にいえばそうしたことはあり得ないが、石に打ちこみ、石を愛し、石を心の友としているものの身になって見ればこの文字は決して無意味ではない。 造園ハウツー本とは、ノウハウが書か…

庭園入門講座7 岩石・庭石・石組方法3

本書の分量の半分が各地に産出する岩石の解説である。 が、省略する。この後、庭石の分類という項目に至る。(1)産地 (2)大きさ (3)硬度 (4)形状 (5)色沢ここもそんなに面白い話はないのでオミットちゃん。(6)風化に変な話が載っている。 (略) 右のような方法…

庭園入門講座7 岩石・庭石・石組方法2

昨日の続き。著者の石愛がすごい。 人というものは物心ついて初めは花をあいするものである、 もとはその国固有の花を、ついで物珍しく外来の花にと心をむける、 そのうち花から転じて樹木に目がうつる、 それも或る年代のうちだけ、最後に愛着を感ずるのは…